西国の懐の深さにあらためて魅力を感じる

2012.01.07

決して東国に見るべき歴史がないとか、西国に豊かな自然がないというような意味ではない。ただ、どちらかと言えば西国は時間の国であり、東国は空間の国という傾向があろうかと思う。しかしもちろんことはそんなに簡単な二元論で済むわけがないので、そのふたつを結ぶものは何かということになる。それにしても、30代までの私は、ひたすら東日本や北日本に惹かれていた。それは西の町にある、時間の積み重なった感じがどこか窮屈に思えてならなかったからでもあるが、40を越えてみて、西国の懐の深さにあらためて魅力を感じるようになった。

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それは、自分も40代の半ばにさしかかり、なかなか物事を学べないうちにそれなりに年をとり、時間を消費してしまったからかもしれぬ。人が旅で出会うものは、畢竟自分に縁のあるものでしかない。私は東国と西国に出かけたのだけれども、奇しくも、その発端が18の歳の冬にあったことに気づいて愕然とした。私はそう考えて取材の場所を選んだわけではないのに、結局そこに行った。そして4半世紀も後になって、その発端が時空を超える鏡のような特異点として、現在の何かを映し出しているのに気づかされる。そうしてそのような説明不可能なイベントは、おそく誰にも起こっていることなのだ。時間も、空間も、人間の中で巡り、内と外が呼応し合って、内と外を越えたものを垣間見せる。たった1日だけの日帰りのスローなサイクリングが、ときにはそれまでに生きてき時間の半分以上を超えた何かと交錯することもある。物事はゆっくりと進む。ゆっくりと確かに変わる。だからことさらに、スロースローと意気込む必要さえないのかもしれない。もしかしたら、スローとは、いかに何かを待ち続けることができるかということそのものなのかもしれないと、私は思い始めている。